大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所堺支部 平成7年(ワ)427号 判決 1999年8月25日

原告

甲野太郎

甲野花子

右両名訴訟代理人弁護士

平山正和

豊島達哉

岡崎守延

山名邦彦

村田浩治

被告

医療法人生長会

右代表者理事長

岸口繁

右訴訟代理人弁護士

石井通洋

夏住要一郎

間石成人

田辺陽一

主文

一  被告は、原告甲野太郎に対し、金二二四〇万二九〇三円及びうち金二〇四〇万二九〇三円に対する平成六年五月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告甲野花子に対し、金二二四〇万二九〇三円及びうち金二〇四〇万二九〇三円に対する平成六年五月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを、一〇分し、その九を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

五  この判決は、原告らの勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告ら各自に対し、各金二四三三万四五八三円及びそれぞれ右各金員のうち金二二三三万四五八三円に対する平成六年五月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、原告らが、原告甲野花子が出産した甲野次郎が死亡したのは、被告病院の医師及び助産婦らの分娩監視等に不適切な点があったためであるなどと主張して、損害の賠償を求めた事案である。

二  争いのない事実等

1  当事者等

(一) 甲野次郎(以下「次郎」という。)は、原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)と原告甲野花子(以下「原告花子」という。)との間の子として、平成六年五月二三日に生れたが、同年六月二八日に死亡した。

(二) 被告は、大阪府和泉市において、府中病院(以下「被告病院」という。)を経営している。

(三) 乙川一郎医師(以下「乙川医師」という。)は、昭和四七年三月に徳島大学医学部を卒業後、愛染橋病院等勤務を経て、昭和五五年七月から被告病院に勤務し、昭和五九年四月から被告病院診療部産婦人科部長として勤務している(証人乙川)。

(四) A(以下「A助産婦」という。)及びB(以下「B助産婦」という。)は、いずれも、次郎出生当時、被告病院において勤務していた助産婦である。

2  事実経過の概要

(一) 平成六年五月二三日以前の経過

原告花子は、平成五年九月二八日、大阪府堺市所在の医療法人同仁会耳原総合病院(以下「耳原病院」という。)で診察を受け、妊娠していること、出産予定日は平成六年(以下、特に断りのない限り、平成六年のこととする。)五月一五日である旨診断された。以後、原告花子は、耳原病院で診察を受けていたが、同病院の担当医師から、「股関節脱臼のため、足があまり開かず、自然分娩は難しい。帝王切開をすべきである。」旨告げられた(甲一九、原告花子)。

原告らは、自然分娩を望み、四月一五日に被告病院で乙川医師の診察を受けた。その際、原告花子は、乙川医師に対し、耳原病院で股関節脱臼のため、自然分娩は難しい旨言われたことを告げた。これに対し、乙川医師は、原告花子に対し、「股関節脱臼であっても経膣分娩は可能な場合があること、もし、危険であれば、帝王切開をする。」と説明した。

そこで、原告花子は、被告病院に転院し、被告病院において出産することとした。

原告花子は、前記初診以後、被告病院にて診察を受けていたが、五月一六日の診察の際、乙川医師から、五月二三日に分娩誘発をする旨告げられ、五月二三日午前八時ころ、右指示に従って分娩誘発のために被告病院に入院した。

(二) 五月二三日の経過

(1) 午前一〇時から午前一〇時半ころ(開始時間については、当事者間に争いがある。)、原告花子に対し、分娩誘発のため、子宮収縮物質であるオキシトシン製剤、シントシノンの点滴投与が開始された。

点滴は、5%ブドウ糖溶液五〇〇mlにシントシノン一〇単位を混和し、点滴能力一五滴で一mlの点滴セットを使用して毎分五滴(シントシノン約6.7ミリ単位/分)で開始され、その後、午後三時六分に毎分一五滴になるまで順次増量され、午後四時四〇分以降減量された。

(2) 午後二時ころから、原告花子に分娩監視装置が装着され、児心音が測定されたところ、児心音に一過性徐脈が認められたが、原告花子を左側臥位にしたことにより児心音が回復し、陣痛も不規則であったことから、経過観察を行った。

(3) 午後三時六分ころ、分娩監視装置が外された。

(4) 午後五時九分ころ、乙川医師が原告花子を診察したところ、児心音が六〇ないし七〇bpmと低下し、持続性の徐脈が出現したため、乙川医師は、帝王切開術の適応であると判断し、「赤ちゃんの心臓がしんどそうなので」との趣旨と共にその旨説明して、午後五時二五分に執刀開始した。

(5) 午後五時二九分、原告花子は、次郎を出産したが、仮死状態であり、直ちに心マッサージや気管内挿管が行われた。その後、次郎は、大阪市立住吉市民病院(以下「住吉市民病院」という。)に転医し、六月二八日、死亡した。

三  原告らの主張

1  事実経過

(一) 原告花子は、五月二三日(以下、特に断りのない限り、同日のこととする。)午後三時六分ころに分娩監視装置が外された後、直ちに、トイレに行ったところ、性器出血を確認したので、その旨を詰所の助産婦に告げたが、同人は、待機を指示するのみで、特に処置をしなかった。

(二) 原告花子は、午後三時一五分ころに、トイレから病室に戻ったところ、腹部に激痛が走ったため、ナースコールをしたところ、A助産婦が病室に来て、痛みの間隔を聴いたり、子宮の内診をしたりしたが、原告太郎が午後四時三〇分ころに病室に来るまでの間、特に医師に報告することも、処置をすることもなく、原告花子の様子を観察していた。その間、原告花子の激痛は治まることなく継続し、身動きもままならないほどひどく、出血もあり、嘔吐感もあったが、医師の診察は一切なかった。

(三) 午後五時九分にようやく乙川医師の診察があった。この時点の児心音は六〇ないし七〇bpmであり、持続性の高度徐脈であった。乙川医師は、児心音の結果を見て、「赤ちゃんの心臓がしんどそうなので、帝王切開します。」と告げて、午後五時二五分に緊急帝王切開術が行われた。

(四) 午後五時二九分、次郎を出産したが、仮死状態であり、直ちに心マッサージや気管内挿管が行われた。その後、次郎は、住吉市民病院へ転医した。

2  陣痛促進剤の投与について

(一) 原告花子には、分娩誘発の医学的、社会的適応がなかったにもかかわらず、被告病院では分娩誘発を行った過失がある。不必要な陣痛促進剤(シントシノン)の投与によって、原告花子に胎盤早期剥離が発症したものである。

(二) 本件においては、原告花子に対するシントシノンの投与開始時の量が多量であり、その後の増量のペースも多すぎる。それによって、原告花子に胎盤早期剥離が発症したものである。

3  原告花子の腹部に激痛が走った時間

(一) 前記のとおり、原告花子の腹部に激痛が走ったのは、午後三時一五分ころであり、原告花子は、そのころ、ナースコールをした。

(二) 原告らは、原告花子の腹部に激痛が走った時間が午後三時一五分ころであると退院時から一貫して主張している。

また、同室者三名のうち、判明した二名とも、原告花子が激痛に苦しんでいたのは午後三時三〇分前後からである旨を明らかにしている。

(三) 被告が、A助産婦の午後三時一五分前後の行動を示すものとして提出する乙第一三、一七及び二五号証はいずれも信用性がない。

4  分娩監視の過失について

(一) シントシノンの投与は、過強陣痛などの副作用の危険を孕んだものであるから、投与を開始して誘発分娩をするか否かの判断においても、また、投与をして誘発分娩をするとなった場合でも過強陣痛による事故を防止するために細心の注意をすべき義務があるとともに、仮にそのような注意義務を尽くしていたとしても過強陣痛に陥る危険を免れないものであるから、担当医師には、シントシノン投与の間は分娩監視をする義務がある。そして、陣痛や胎児心音の状況を厳重に把握しながら、胎児や母体に異常が発生した場合には、直ちに、シントシノンの投与の中止などの調節や帝王切開手術などの緊急措置をとる適期を逸しないようにする義務がある。

(二) シントシノンの量を許容最大量に増加させたこと、一過性徐脈が現れていたこと、C医師が経過観察の指示をしたこと、すでに子宮収縮(陣痛)が起こっていたこと、分娩誘発の条件が未熟であったことなどの諸般の事情を総合すれば、分娩監視装置を除去するのではなく、むしろ、シントシノンの量を許容最大量に増加させた午後三時六分以後にこそ、分娩監視装置による分娩監視が必要であった。

午後三時六分に分娩監視装置が除去されずにそのまま分娩監視が継続されていれば、胎児心音の異常、母体の子宮収縮の異常が分娩監視装置により、直ちに把握でき、胎盤早期剥離を早期に発見することが可能であった。

(三) また、午後三時六分以降に分娩監視装置を装着しない場合にも、分娩監視装置によるのと同程度の医師による頻回の分娩監視が実施されていれば、胎盤早期剥離を発見することが可能であった。

(四) しかるに、午後四時四〇分までの長時間にわたり、最大許容量のシントシノンの投与を継続しながら、医師による診察はまったくなく、また、被告の主張によれば、午後四時三〇分まで助産婦による観察もないまま放置していたことになるのであり、明らかに分娩監視義務に反している。

まして、原告花子は、午後三時一五分ころに激痛を訴えているのであるから、被告病院の医師及び助産婦らの分娩監視義務違反は明らかである。

(五) 以上のとおり、被告病院の医師及び助産婦らは、原告花子に対する適切な分娩監視を怠ったため、帝王切開をする時期を逸した過失がある。

5  胎盤早期剥離の原因

(一) 原告花子に胎盤早期剥離が起こったのは、シントシノンの過剰投与による過強陣痛が原因である。

(二) 仮に、エーラス・ダンロス症侯群が原因で、胎盤早期剥離が発症したとしても、被告病院の医師及び助産婦らが適切な分娩監視を行っていれば、早期に胎盤早期剥離を発見することができ、帝王切開を含めて適時適切な処理をすることができたのであるから、原告花子の胎盤早期剥離の原因がシントシノンの投与によるものか、エーラス・ダンロス症侯群によるものかは、被告の分娩監視に過失があったことには何ら影響を及ぼさない。

6  損害

(一) 次郎の損害

(1) 死亡に伴う慰謝料 二三〇〇万円

(2) 入院に伴う慰謝料 五〇万円

次郎は、平成六年五月二三日から平成六年六月二八日まで住吉市民病院に入院した。

(3) 治療費 四八万六三九〇円

住吉市民病院での治療費

(4) 葬儀費用 一三〇万円

(5) 逸失利益 一九三一万九四一六円

次郎は、満〇歳で死亡した。平成四年度の賃金センサス・男子学歴計・一八歳ないし一九歳の賃金(二三五万三三〇〇円)を基準とし、生活費控除を五割として計算する。

235万3300円×0.5×16.419=1931万9416円

(6) 以上合計四四六〇万五八〇六円

(二) 原告太郎及び原告花子の被った損害

(1) 原告らの共通の損害

① 通院交通費 六万三三六〇円

通院回数三六回(原告ら二人分)

② 弁護士費用 合計四〇〇万円

③ 右合計 四〇六万三三六〇円

④ したがって、右合計額の二分の一の各二〇三万一六八〇円が原告ら各自の損害である。

(2) 相続

原告らは、次郎の右損害賠償請求権を各自二分の一(二二三〇万二九〇三円)ずつ相続した。

(3) したがって、原告ら各自の損害は、各二四三三万四五八三円となる。

7  よって、原告らは、各自、被告に対し、債務不履行または不法行為に基づく損害賠償請求として、各金二四三三万四五八三円及び右各金額のうち金二二三三万四五八三円に対する不法行為の日である平成六年五月二三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四  被告の主張

1  事実経過

(一) B助産婦は、五月二三日午後三時ずぎに原告花子に装着されていた分娩監視装置を外し、午後三時一〇分ころから午後三時四〇分ころまで、詰所において、分娩監視装置記録及びその他の記録を整理していた。その間、詰所において、原告花子からナースコールはなかった。

(二) A助産婦は、午後四時三〇分ころ、未分娩妊婦の最終観察のために原告花子の病室を訪れたが、不在であったことから帰ろうとしたところ、原告花子がシントシノンの入った点滴ボトルが吊された支柱台を押しながら帰ってきた。A助産婦が原告花子に出血の有無を聞いたところ、トイレに行ったときに少量の出血があった旨の返事があった。ただ、原告花子は腹痛等の異常は訴えていなかった。原告花子の訴え及び触診により、陣痛は不規則と判断された。児心音は一三六bpmであった。

(三) A助産婦は、午後四時四〇分ころ、詰所に戻ったところ、D助産婦及びB助産婦から、原告花子から、一分おきに陣痛が来たとのナースコールがあったので、見に行くように言われ、原告花子の病室に戻ったところ、原告花子は右側臥位にて腹痛を訴えていた。児心音は約一二五bpmであった。A助産婦は、シントシノンを毎分一五滴から毎分八滴に調節し、内診を行おうとしたが、原告花子がA助産婦に対して、頭を右にして寝ていたため、内診を行う右手が挿入しにくく、また、原告花子には、先天性股関節脱臼による開排制限があったため、子宮口まで内診指を到達させることができなかった。そこで、A助産婦は、内診の協力を得るために、詰所にいるB助産婦を呼びに行った。

(四) 午後四時五〇分ころ、B助産婦はA助産婦の補助のもと、内診を行った。A助産婦は、触診により陣痛間隔が一分と判断し、シントシノンを毎分五滴に調節した。児心音は約一五〇bpmであった。原告花子は、陣痛時に下腹部痛があると訴えていた。

(五) 午後五時九分ころに、乙川医師が診察したところ、六〇ないし七〇bpmの持続性徐脈の出現が認められ、超音波断層装置によって胎盤早期剥離の疑いと診断されたため、乙川医師は、緊急帝王切開術を決定した。

2  陣痛促進剤の使用について

(一) 本件において、陣痛促進剤を投与したのは、原告花子が五月二三日の時点において妊娠四一週一日目であり、四二週を超えると過期産となって巨大児、胎盤機能不全による胎児仮死又は胎児死亡という危険が発生するおそれがあったためである。巨大児等の危険が発生する前に予防的にそのような危険を回避することが望ましく、本件では、陣痛促進剤使用の適応があった。

(二) 陣痛促進剤の使用方法について

被告病院においては、定められた用量の範囲内において、原告花子と胎児の状況に応じてシントシノンを投与しており、投与量の選択に不適切な点はない。また、原告花子に午後四時四〇分ころに突然発来した過強陣痛に類似した症状は、遡及的に考えれば、胎盤早期剥離の発症による腹痛である可能性が高く、シントシノンの投与によるものではない。

3  分娩監視について

(一) 原告花子に胎盤早期剥離が起こった時間は、午後四時四〇分ころである。

(二) 被告は、午後三時一五分ころに、原告花子からナースコールを受けたり、これに対してA助産婦が病室に赴いた事実はなく、原告花子から激痛の訴えも受けていない。

午後四時三〇分ころにA助産婦が原告花子を観察した際に、原告花子から、トイレに行ったときに少量の出血があったとの説明があったのみである。

(三) 原告花子が、一分ごとの陣痛の発来をみてナースコールをしてきたのは、午後四時四〇分のことであり、それまでの間、原告花子に全く異常はなかった。ナースコール後は助産婦による観察、陣痛発来に応じてのシントシノンの減量、児心音の低下を認めての午後五時九分の乙川医師による診察、午後五時二五分の手術施行と、迅速かつ適切な処置を行っている。

(四) 胎盤早期剥離の発症頻度は、全分娩例の0.5パーセントと低く、妊娠中毒症に併発するものが多数を占めるとされているが、その他の原因については、明確でなく、しかも、突発的に発生することから、その予知や予防法も確立していない。また、胎盤早期剥離の場合、自覚症状としては突発的腹痛、他覚症状としては、子宮底の急激な上昇、腹壁の緊張、持続性徐脈、児心音消失などが挙げられている。

本件においては、原告花子は、妊娠中毒症でなく、原告花子が、一分ごとの陣痛を訴えた午後四時四〇分ころ、及び、その後の四時五〇分ころにおける児心音はいずれも正常であり、その他、胎盤早期剥離を疑うべき症状はなかったのであるから、被告病院において、持続性徐脈を認めた午後五時九分ころまでに胎盤早期剥離の発症に対する具体的疑いを持ち、胎盤早期剥離を予知し、発見することは不可能である。

(五) なお、原告花子の胎盤早期剥離の原因は、エーラス・ダンロス症侯群による可能性が高い。

そして、原告花子がエーラス・ダンロス症侯群に罹患していることを予見することは一般産婦人科医には不可能であるから、原告花子がエーラス・ダンロス症侯群に罹患していることを前提とした注意義務を課すことはできない。

五  争点

1  原告花子に激痛が起こった時間

2  原告花子の常位胎盤早期剥離の原因

3  被告病院の原告花子に対する分娩監視等に不適切な点があるかどうか。

4  原告らの損害

第三  当裁判所の判断

一  争点1(花子に激痛が起こった時間)について

前記争いのない事実及び証拠(甲一ないし五、六の1、2、七、八、九の1ないし5、一四、一六ないし二一、二三、乙一、二、三の1、2、七ないし九、一一、一二、一四、一八、一九、証人乙川一郎、証人A、証人B、証人宇井美佳、原告甲野花子、原告甲野太郎)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

1  事実経過

(一) 原告花子は、平成五年九月二八日、耳原病院で診察を受け、妊娠していること、出産予定日は平成六年五月一五日である旨診断された。以後、原告花子は、耳原病院で診察を受けていたが、同病院の担当医師から、「股関節脱臼のため、足があまり開かず、自然分娩は難しい。帝王切開をすべきである。」旨告げられた。

(二) 原告らは、自然分娩を望み、四月一五日(妊娠三五週五日目)、原告花子は、被告病院産婦人科を外来受診し、乙川医師の診察を受けた。その際、原告花子は、乙川医師に対し、耳原病院で股関節脱臼のため、自然分娩は難しいと言われたが、被告病院で経膣分娩ができるならば、経膣分娩をしたいと述べた。これに対し、乙川医師は、原告花子に対し、「股関節脱臼だけでは、帝王切開の適応にならない。分娩経過をみて、経膣分娩が可能であれば、経膣分娩をしましょう。もし、母子ともに危険があれば、帝王切開しましょう。」などと述べたため、原告花子は、被告病院に転院することとした。その際、乙川医師は、原告花子に対して、塩分や糖分を制限するように指導した。

(三) 原告花子は、五月二日及び九日に被告病院を外来受診し、乙川医師から糖分や水分を控えること、体を動かすことなどの指導を受けた。また、その際、頸管の成熟を図るため、マイリス二〇〇mgの投与を受けた。エストリオール検査の結果も特に異常はなかった。

(四) 原告花子は、五月一六日(妊娠四〇週一日)に外来受診した。乙川医師が診察した。そのとき、胎児の児頭は骨盤に固定し、子宮口がやや開大していた。

乙川医師は、原告花子に対し、予定日である五月一五日から分娩に至らないまま二週間を経過すると過期産となり胎盤機能不全や巨大児傾向による難産の可能性が大きくなり、胎児胎内死亡の確率が増大するので、通常は正期産として妊娠四二週までに分娩を終了するのが望ましいこと、五月二三日で妊娠四一週一日となるので、それまでに自然陣痛が起こらない場合には、シントシノンの点滴で分娩誘発を施行することを説明し、同意を得た。また、同日、頸管の成熟を図るため、マイリス二〇〇mgを投与した。

なお、同日行ったエストリオール検査において、胎盤機能の低下を示す結果が出たため、同月一八日に再度検査をしたが、特段の異常はなかった。

(五) 原告花子は、五月二三日午前八時ころ、分娩誘発のため被告病院に入院した。入院当時、原告花子には陣痛はなく、腹緊があり、児心音は約一三五bpmであった。

(六) 午前九時一七分ころ、E医師が原告花子を診察した。子宮口はやや開大で、子宮膣部は堅かった。児頭の位置はステーションマイナス一であった。そこで、E医師は、シントシノン一〇単位を五%ブドウ糖五〇〇mlに混和した溶液(一ml当たり二〇ミリ単位)を用いて分娩誘発をすることを決定した。右当時、原告花子には分娩陣痛はなく、腹緊があり、児心音は一四四bpmであった。頸管の成熟を図る目的で、マイリス二〇〇mgを投与した。

午前一〇時三〇分ころ、B助産婦が一mlあたり二〇ミリ単位の濃度のシントシノンを毎分五滴(約6.7ミリ単位/分)から点滴静注を開始した。右開始時、原告花子の陣痛は不規則かつ微弱で、児心音は約一四〇bpmであった。

(七) 午後〇時ころ、F助産婦が原告花子を観察した。破水及び出血ともなかった。シントシノンを毎分八滴(約10.7ミリ単位/分)に増量した。陣痛は不規則で、児心音は約一四八bpmであった。

午後一時ころ、原告花子は、陣痛室から一五五一号室に移動した。

(八) 午後一時二〇分ころ、G医師が原告花子を診察した。子宮口は1.5cm開大していた。破水及び出血はともになかった。シントシノンを毎分一〇滴(約13.3ミリ単位/分)に増量した。陣痛は不規則かつ微弱で、児心音は約一三六bpmであった。

(九) 午後二時ころ、B助産婦が原告花子に分娩監視装置を装着した。

装着直後に児心音に一過性徐脈が認められたが、原告花子を左側臥位にしたところ児心音が回復し、以後、徐脈は認められなかった。

そのころ、シントシノンを毎分一二滴(約一六ミリ単位/分)に増量した。破水及び出血はなかった。陣痛は不規則で、児心音は約一六〇bpmであった。

(一〇) 午後三時六分ころ、B助産婦が原告花子を観察し、分娩監視装置を外した。その際、B助産婦は、C医師に対して、一過性徐脈が出ていたことを報告したところ、C医師は、経過観察を指示した。

そのころ、シントシノンを毎分一五滴(約二〇ミリ単位/分)に増量した。陣痛は不規則で、児心音は約一六〇bpmであった。

ところで、原告花子は、シントシノンの点滴を開始した午前一〇時三〇分ころからトイレに行っておらず、尿意を催していたため、分娩監視装置が除去されると直ちにトイレに行った。トイレに行った際、ショーツに直径二ないし三cmくらいの血が付いていた。原告花子は、右の出血が、いわゆるお印といわれている出血とは異なるような気がして心配になったため、生理用ナプキンを装着した後、トイレから病室へ帰る途中に詰所に立ち寄って、出血があった旨述べたところ、その者から、「お産が進んでいる兆しなので、そのまま帰って部屋で待っていてください。」と言われたため、病室に戻った。

(一一) 原告花子は、病室に帰ったが、病室の入り口辺りで急に腹部に激痛が走ったため、なんとかベットまで戻ってナースコールをしたところ、スピーカーから、「どうされました。」という応答ががあったため、原告花子は、「甲野ですが、急におなかが痛くなったんですけど。」と返答したところ、「参ります。」旨の応答があった。

右ナースコールの後、A助産婦が原告花子のところまで来て、「陣痛は何分間隔?」と聞いたのに対し、原告花子が、「痛みが全然治まらない。間隔がない。」旨答えたところ、さらにA助産婦が、「一分間隔ぐらい。」と尋ねたが、原告花子は、痛みのため、まともに答えることができず、「わからへん。」とのみ答え、その後は「苦しい、痛い。」と叫んでいた。

A助産婦は、内診を行おうとしたが、原告花子がA助産婦に対して、頭を右にして寝ていたため、内診を行う右手が挿入しにくく、また、原告花子には、先天性股関節脱臼による開排制限があったため、子宮口まで内診指を到達させることができなかった。そこで、A助産婦は、内診の協力を得るために、詰所にいるB助産婦を呼んできて、共同して内診をした。内診の際、膣内からどろどろとした血の塊が出てきた。

あまりの痛さから、原告花子が、A助産婦に、「この痛みはどのくらい続くのか。」と聞いたところ、A助産婦は、「まだ、一期(ないし一指)だから。」と言い、また、「パットどこにある。」と聞いたため、原告花子は、「一番大きな袋にある。」旨答えたところ、A助産婦は、パットを取り出して、原告花子にあてがった。

その後も、原告花子は、激痛が治まらず、嘔気がしたため、A助産婦に告げたところ、A助産婦は、膿盆を持ってくるなどしてくれた。

(一二) その後、仕事を終えた原告太郎が午後四時三〇分ころに、病室に原告花子を見舞った。原告太郎が病室に入ると、原告花子が痛みを訴えて苦しんでおり、お尻の割れ目の部分から、ベットのシーツにかけて大量の血が流れ出ていた。原告太郎は、原告花子に対し、「どうしたんや。大丈夫か。」などと声をかけたところ、原告花子は、「痛みがとまれへんねん。」などと答えた。原告花子の側にいたA助産婦に対して、「陣痛ですか。」と問うたところ、A助産婦は、「一分間隔で、強い陣痛が来ています。」と答え、点滴を操作して、シントシノンの点滴量を八滴(約一0.7ミリ単位/分)に減らした後、「今、点滴を減らしたから、楽になります。」と原告花子に話しかけた。

原告太郎は、原告花子が苦しんでいることを双方の両親に連絡するため、病室から出て行き、その後、A助産婦も病室から出て行った。二本の電話を終えて病室に戻った原告太郎は、原告花子の背中をさすったりしていた。そのうち、A助産婦が病室に帰ってきて、「ご主人さんは出て下さい。」といってカーテンを閉めて、原告太郎は、カーテンの外に出された。

原告太郎は、再度、双方の両親に電話をするため、詰所横の公衆電話で原告花子の両親に電話したところ、既に、自宅を出て、被告病院に向かっている様子で留守であった。また、原告太郎は自分の両親に電話をし、被告病院までの道順などを教えた。そして、原告太郎は、電話を終えて午後五時ころ、病室に戻った。

その間の午後四時五〇分ころ、シントシノンの点滴は、毎分五滴(約6.7ミリ単位/分)に減量された。

なお、午後四時三〇分ころの胎児心拍数は約一三六bpm、午後四時四〇分ころの胎児心拍数は約一二八bpm、午後四時五〇分ころの胎児心拍数は約一五〇bpmと記録されている。

(一三) 午後五時九分ころ、乙川医師が原告花子を病室で診察した。破水はまだで、子宮口は1.5cm開大のままであった。乙川医師が児心音を確認したところ、七〇ないし六〇bpmの持続性徐脈の出現を認め、超音波断層装置にて確認したところ、常位胎盤早期剥離の疑いがあったため、緊急帝王切開術を決定した。そのため、シントシノンの点滴静注を中止してソクラクト五〇〇mlの点滴に変更し、酸素を五l/分の割合で投与した。

乙川医師の診察の様子をカーテンの外から観察していた原告太郎は、原告花子に大変なことが起きているのではないかと思い、再度、実家に電話をしに行った。原告太郎が電話をしている最中に、原告花子がストレッチャーに乗せられて病室から運び出され、原告太郎も詰所に呼ばれ、そこで、乙川医師から、原告花子に常位胎盤早期剥離の疑いがあること、胎児の心音が低いので、帝王切開をすることなどの説明を受け、手術の同意を求められたため、原告太郎は右手術に同意した。

(一四) 乙川医師は、午後五時二五分に帝王切開術の執刀を開始し、午後五時二五分に次郎が娩出された。次郎は、出生時仮死であり、心停止、自発呼吸もない状態であったため、直ちに、次郎に対し、心マッサージや気管内挿管など、心肺蘇生術等が施行された。

次郎のアプガースコアーは、出生一分後が二点、五分後が三点、三〇分後が六点であった。

大阪府立母子総合医療センターの医師が緊急に呼ばれ、原告次郎の処置に当たっていたが、その後、救急車にて住吉市民病院新生児集中治療室(NICU)へ転送された。

住吉市民病院に搬送されたときには、次郎は意識及び呼吸運動は見られず、四肢には、持続する痙攣が見られ、肺出血による重度の呼吸不全を呈し、血圧低下も見られたことから重度の低酸素性虚血性脳症と診断された。

(一五) 一方、原告花子も、帝王切開術後の子宮切開創縫合部が、組織が脆弱であったため、止血が困難であり、播種性血管内凝固症侯群(DIC)の疑いがあり、このままでは死亡の可能性があったため、乙川医師は子宮摘出術が必要と判断し、原告太郎に対し、「子宮の壁からの出血が止まらない、血がにじむように出て来て、最悪子宮をとらなければ命がないので、その許可をもらいたい。」旨説明し、原告太郎は、「できるならば子宮をとらずに止血して欲しい。もしだめならば命だけは助けて欲しい。」と乙川医師に依頼した。

そこで、乙川医師は、原告花子に対し、深部帝王切開術、子宮膣上部切断術、左側付属器摘除術を行った。

なお、原告花子の右手術時及び術後の経過において、以下のような所見が認められた。

① 帝王切開術において、子宮切開創が脆弱なため、反復出血を起こし、止血・縫合が困難であった。このため、子宮膣上部切断術等を施行した。② 皮膚切開を臍下部から恥骨上縁にかけて行ったが、その切開創が術後臍窩左側へ自然延長し離開していた。③ 右側下腹部へのドレーン挿入時に、通常では、メスによる皮膚切開が必要であるが、先端が鈍いケーリー鉗子で容易に抵抗なく穿孔しえた。④ 血管の動脈ライン確保時に、注射針が動脈壁を通過する際に、生じる抵抗が全く感じられなかった。⑤ 術後四日目において、既に尿管からの出血が消失しているにもかかわらず、体動によって、再度、血尿が認められた。

乙川医師は、以上のような所見及び常位胎盤早期剥離を認めるまでの経過から、原告花子の常位胎盤早期剥離の原因として、胎盤あるいは卵膜の子宮付着部の脆弱性及び易出血性を考え、皮膚及び粘膜の結合織の先天的異常を疑ったため、原告花子に対し、専門医による精密検査を勧め、原告花子は、乙川医師の紹介により、大阪大学医学部附属病院皮膚科において結合織代謝異常症の検査を受けた。

(一六) 次郎は、六月二八日、住吉市民病院において、死亡した。直接の死因は低酸素性虚血性脳症であり、その原因は、常位胎盤早期剥離による出生児仮死であるとされている。

(一七) 原告花子は、翌五月二四日になっても、口にマスク様のものを付けていたため会話をすることができなかったが、筆談によって、原告太郎に対し、五月二三日午後三時一五分ころに激痛が走ったこと、午後五時ころに乙川医師の診察を受けるまでずっと苦しんでいたこと、ナースコールをして助産婦を呼んだこと、助産婦が内診をしてくれたが、医師を呼んでくれなかったことなどを伝えた。

(一八) 原告花子の退院日である六月六日に、原告太郎、原告太郎の両親、原告花子の両親、原告太郎の弟と乙川医師が話し合いを持った。その席で、乙川医師から、午後三時から午後五時までの間の経過について説明がなかったため、原告太郎がその点を問いただし、右経過について文書で回答するように求めた。

(一九) その後、六月一〇日、原告太郎は、文書を受け取りに行った際、文書をワープロで作成することなどをさらに求めた。

(二〇) 六月一三日、被告病院から、乙川医師、G医師、A助産婦、B助産婦が出席して、原告太郎らと話し合いがもたれたが、午後三時ころから午後五時ころまでの経過について、双方の主張に食い違いがあった。

(二一) その後、六月一七日に再度話し合いがもたれたが、午後三時から午後五時までの経過に関する双方の主張は平行線をたどっていた。ただ、この日初めて、A助産婦は、「午後三時ころならば、他の妊婦の分娩に立ち会っていた。」旨を述べるようになった。

(二二) 七月一日にも原告側と被告病院から院長と総務部長も出席して、話し合いがもたれたが、平行線であった。

2  原告花子に激痛が起こった時間

(一) 前記認定したところによれば、原告花子の腹部に激痛が起こった時間は、午後三時一五分ころであったと認められる。

(二) この点について、被告は、「午後三時一五分ころには、原告花子からのナースコールはなかった。そのころA助産婦は他の妊婦の分娩に立ち会っており、原告花子のナースコールに応じて病室に行くことは不可能であった。原告花子に激痛が走った時間及びナースコールをした時間は、午後四時四〇分くらいである。」と主張するところ、乙川医師、A助産婦、B助産婦はいずれもこれに沿う証言をする。また、被告は、A助産婦が午後三時一五分ころ他の妊婦の分娩に立ち会っていたことを裏付ける証拠として、当該他の妊婦のカルテ(乙二五)、病棟管理日誌(乙一三)及び助産記録(乙一七)を提出する。

しかし、(1) 原告らは、退院に際しての被告病院との話し合いのときから、一貫して、午後三時一五分ころに激痛が走ってナースコールをしたことを明確に主張していたこと、(2) 原告花子の事実経過に関する供述は具体的かつ詳細であるうえ、激痛が起こった時間を午後三時一五分ころであると記憶している理由も、分娩監視装置が除去されて直ちに我慢していたトイレに行ったため、記憶しているというもので、十分に合理性があること、(3) 原告花子と同室であった妊婦である宇井美佳も、原告花子が激痛で苦しんでいたのは、午後三時三〇分前後ころからであると証言しているところ、右証言等にも特に不自然な点はなく、同じく同室の森下美保子の陳述書には右宇井が午後三時の授乳を終えて病室に戻ったころ、原告花子が苦しんでいたと記載されていること、(4) A助産婦も、原告太郎が来たとき(午後四時三〇分ころ)には、原告花子がすでに苦しんでおり、その場にA助産婦がいたことを認めるかのような証言をしていること、(5) 原告太郎が病室に来たとき(午後四時三〇分ころ)には、すでに、シーツに血がついており、すでに内診が終わっていたと思われること、などからすれば、激痛が走り、ナースコールをした時間は三時一五分ころであるとの原告花子の供述は十分信用できると考えられる。加えて、被告が、A助産婦の行動を裏付ける証拠として提出した書証も、病棟管理日誌(乙一三)には、A助産婦が他の妊婦の分娩に立ち会ったとの明確な記載はないし、当該他の妊婦のカルテ(乙二五)についても、A助産婦が出産に立ち会ったというのに、パルトグラム及びその他の箇所においてもA助産婦の記載はなく、A助産婦の名前が出てくるのは、カルテの一部と考えられる助産記録(乙一七)においてだけであること、しかし、カルテは、その原本が製本もされずにバラバラの状態であったもので、助産記録についても、その原本は、二枚複写のものが、二枚重ねのまま半分に折られて、製本されないまま、カルテに挟まれている状態(カルテが製本されていないことは前示のとおり)であったもので、これが後から添付された可能性も否定し得ず、それら書証をもってA助産婦が他の妊婦の分娩に立ち会っていたことを裏付けるものとは認めがたいこと、さらに、原告太郎は当初から被告に対し午後三時から午後五時までの経過を明らかにするよう求めていたのに対し、被告は六月一六日までA助産婦が別の患者の分娩に立ち会っていたと説明していなかったことにも照らすと、前掲各証言中、被告主張に沿う部分をにわかに採用することはできず、他に原告花子に激痛が起こった時間についての前記認定を覆すに足りる確たる証拠はない。

二  争点2(原告花子の常位胎盤早期剥離の原因)について

1  常位胎盤早期剥離

(一) 常位胎盤早期剥離とは、正常位置に付着している胎盤が、妊娠中または胎児娩出に先立って、子宮壁から剥離するものをいう。

(二) 経産婦に多く、特に三五歳以上の多産婦に起こりやすい。高血圧や妊娠中毒症との関係が重視されているが、約半数は、機械的な外力あるいは急激な子宮容積の減少(双胎の一児娩出後や羊水過多症での破水後等)など、妊娠中毒症とは無関係に起こる。

(三) 診断方法としては、臨床症状や超音波断層所見(胎盤後血腫によるエコーフリースペース)、FHRモニタリング(基線細変動の消失、遅発一過性徐脈)などによる診断がある。

(四) 臨床症状としては、以下のとおりである。

① 腹痛

子宮の胎盤剥離面を中心に疼痛・圧痛を見、出血量の多いときは、激痛を訴える。

② 出血

胎盤後血腫のみで外出血を伴わないこともあるが、出血量がある程度以上になると外出血を伴うようになる。

③ 胎児仮死・胎児死亡

剥離の程度により胎児の予後が左右される。

④ 腹部所見

子宮は子宮壁内血液浸潤のために増大し、板状硬となる。胎児部分の触知は困難となる。

⑤ 内診所見

出血を認める以外に特別な所見はない。

⑥ 貧血

外出血の量と貧血の程度は一致しないことが多い。

⑦ 血圧

高血圧を伴った妊娠中毒症患者では、全身状態が不良であっても血圧が保たれている場合がある。

⑧ DICの合併

重症例ではほぼ必発する。

(五) 常位胎盤早期剥離の場合のFHRモニタリング所見としては、基線細変動が消失し、遅発一過性徐脈が出現する。胎盤の剥離面が広い場合には、胎児は死亡する。

(六) 管理・治療としては、一般的には、胎児の生死にかかわらず、急速遂娩を行い、速やかに胎児・胎盤の娩出を図る。また、分娩時の出血(弛緩出血、DICなど)を極力防止し、DICに注意し、早めに検査を行いDICの治療を行う。

(以上、甲一四、二二、証人乙川一郎、証人新海浤及び弁論の全趣旨)

2  エーラス・ダンロス症侯群について

(一) エーラス・ダンロス症侯群は、結合組織成分に富む皮膚、関節、血管、腱・靭帯・筋膜の弾力性と物理学的抵抗の減弱を示す先天性疾患であり、臨床的には、皮膚の過伸展、脆弱、軽微な力による内出血、挫傷、関節の過可動などを特徴とする。原因については、結合組織を構成する成分、あるいはその成分を修飾する酵素の異常が知られている。遺伝的、生化学的、臨床的に現在九の型(ⅠないしⅧ型及びⅩ型)に分類されている。

(二) 結合組織とは、人体を構成する細胞間を埋める組織であり、人体の約三分の一の領域を占めており、コラーゲン、プリテオグリカンという蛋白質、フィブロネクチンという糖蛋白質などから構成されているが、このうちコラーゲンが主要な成分であり、人体を構成する蛋白質の約三分の一を占めている。

(三) 結合組織には、組織の支持機能及び組織を取り巻く環境を整えるという環境機能がある。

結合組織の主成分であるコラーゲンの量は、結合組織の支持機能を働かせるために重要な要素の一つである。

(四) コラーゲン分子の異常は、遺伝子の異常に由来し、体全体のコラーゲン分子に異常を来たすことになる。ただ、コラーゲンには、1型から19型の種類があり、それぞれの臓器を構成するコラーゲンの種類により、症状の発現の仕方が異なる。

子宮は、皮膚と同じく1型のコラーゲンによって主に構成されており、皮膚に異常が認められると、子宮にも同様の異常が認められると考えられている。

(五) エーラス・ダンロス症侯群の徴候の一つである組織の脆弱性は、妊娠によって悪化することが多いことが報告されている。

また、妊婦では、腹部ヘルニア、高度な静脈瘤を来すことがあり、分娩に際して早産、脱落分娩、子宮脱、膀胱脱、さらには、分娩後の多量出血の危険性を伴う。胎児膜の脆弱のゆえに早期膜破裂を来すこともある。

(以上、乙四ないし六、二〇ないし二三、証人乙川一郎、証人新海浤)

3  原告花子のエーラス・ダンロス症侯群について

(一) 千葉大学医学部皮膚科学講座の新海浤教授は、大阪大学医学部皮膚科の吉川邦彦教授からの依頼により、原告花子の生検皮膚からコラーゲン分子を合成させ、その量及び構造について検討を行った。

(二) その結果、結合組織の主成分であり結合組織の支持機能を働かせるためには重要な要素の一つであるコラーゲンの量は、原告花子の場合、正常人の約半分であった。

(三) また、新海教授が、原告花子の生検皮膚から線維芽細胞を培養し、コラーゲン合成をしたところ、合成されたコラーゲンの約二分の一は、正常と変わりのないコラーゲンであったが、残りの二分の一は今まで経験したことのないような異常なコラーゲン分子が合成された。

(四) 新海教授は、右結果から原告花子について、コラーゲン合成が正常の二分の一と低下したため、血管等の結合組織全般の脆弱化を来たし、搬痕(創傷治癒の遅れ)形成、皮膚の菲薄化をを来しているのではないか、としている。

(五) 原告花子は、先天性股関節脱臼のほか、アキレス腱の異常があり手術したことがあるが、先天性股関節脱臼及び腱の異常は、エーラス・ダンロス症侯群の症状の一つとされている。

また、原告花子には、手術の際、前記一1(一五)①ないし⑤のとおりの各症状が見られたが、これらの症状は、いずれもエーラス・ダンロス症侯群によるものといってよい症状である。

(以上、乙二二、二三、証人新海浤)

(六) 以上認定したところによれば、原告花子はエーラス・ダンロス症侯群であると認められる。

4  エーラス・ダンロス症侯群と常位胎盤早期剥離との関係について

(一) 常位胎盤早期剥離とは、前記のとおり、胎児娩出前に子宮と胎盤が剥離するものである。

(二) 子宮については、子宮筋層(筋繊維)、子宮腺、子宮内膜の上皮以外の大部分、胎盤についても、その大部分(特に子宮付着部である基底脱落膜・床脱落膜)、また、子宮壁と基底脱落膜を介在する部分は結合組織によって構成され、基底脱落膜も母体側の組織で構成されている。

(三) 妊娠晩期になると、胎児が成長してくるため、子宮体腔から子宮外膜までの厚さが薄くなることもあり、組織が脆弱な子宮壁と基底脱落膜が簡単に剥離してしまうことがある。

また、エーラス・ダンロス症侯群の妊婦に陣痛が起こり、子宮が収縮したときには、胎盤の基底脱落膜が子宮収縮に抵抗できないことから、剥離が起こることが考えられる。

(四) なお、エーラス・ダンロス症侯群は、非常にまれな疾患であることから、常位胎盤早期剥離との関連性については余り論じられていないが、エーラス・ダンロス症侯群が常位胎盤早期剥離の原因となることは、昨今、外国においても報告例があり、国内においても本件及び外国の報告例を踏まえて新海教授が報告している。

(以上、乙六、二〇、二一、証人新海浤)

5  オキシトシンの使用とその副作用

(一) オキシトシンの効能と副作用

オキシトシンは、分娩誘発に従来から広く使用されてきた薬剤であり、プロスタグランジンと並ぶ代表的な子宮収縮剤である。この両者は、生理的に妊娠血中に存在する子宮収縮物質であり、収縮自体も自然陣痛に極めて近いという特徴がある。

オキシトシンの副作用としては、過強陣痛、強直性子宮収縮、これによる胎児仮死(さらには胎児死亡)、子宮破裂、頸管裂傷等がある。

(二) オキシトシンの使用上の注意

子宮筋のオキシトシン感受性には、妊婦によって大きな個人差があるため、感受性の強い妊婦には、微量でも子宮収縮が起こり、過量のときは、過強陣痛が発生して、母児に悪影響を与えることがあるから、文献等において、オキシトシンの投与による分娩誘発に際しては、投与量が過量にならないように注意を喚起している。

(三) 本件子宮収縮剤の添付文書(能書)

本件で用いられた子宮収縮剤シントシノン(登録商標)の添付文書(能書、甲一一、平成六年二月改訂のもの)には、「用法及び用量」の項に、「オキシトシンとして、通常、五ないし一〇単位を五%ブドウ糖液(五〇〇ml)等に混和し、点滴速度を一ないし二ミリ単位/分から開始し、陣痛発来状況及び胎児心拍等を観察しながら適宜増減する。なお、点滴速度は、二〇ミリ単位/分を越えないようにする。」と、「使用上の注意」の項に、「過強陣痛や強直性子宮収縮により、胎児死亡、頸管裂傷、子宮破裂、羊水塞栓等を起こす可能性があるので、分娩監視装置等を用いて子宮収縮の状態及び胎児心音の観察等十分な分娩監視を行うこと。」、「本剤に対する子宮筋の感受性は個人差が大きく、少量でも過強陣痛になる症例があることなどを考慮し、できるかぎり少量(二ミリ単位/分以下)から投与を開始し、陣痛発来状況及び胎児心音を観察しながら、適宜増減すること。点滴速度を上げる場合は、一度に一ないし二ミリ単位/分の範囲で、四〇分以上経過を観察しつつ徐々に行うこと。」と記載され、また、副作用として、「(1) ショック、(2) (子宮に関して)過強陣痛、子宮破裂、頸管裂傷、羊水塞栓症、微弱陣痛、弛緩出血等、(3) 胎児仮死など」を挙げている。

(以上、項一〇、一一、一二の1ないし5、証人乙川一郎及び弁論の全趣旨)

6  原告花子の常位胎盤早期剥離の原因について

(一) この点について、原告らは、原告花子に常位胎盤早期剥離が発症した原因は、陣痛促進剤(シントシノン)の利用による過強陣痛の発生によるものであると主張し、一方、被告は、原告花子のエーラス・ダンロス症侯群が原因であると主張する。

(二) ところで、陣痛促進剤の利用による場合の副作用としては、一般には、過強陣痛、強直性子宮収縮、これによる胎児仮死(さらには胎児死亡)、子宮破裂、頸管裂傷等があるといわれているが、それ以外の副作用として常位胎盤早期剥離が起こりうるのか、また、また、右の過強陣痛等が常位胎盤早期剥離を引き起こすかについては、明らかではなく、また、本件において証拠として提出された一切の文献・資料にも陣痛促進剤の副作用として常位胎盤早期剥離がある旨の記載はないのであるから、結局、陣痛促進剤の投与と常位胎盤早期剥離との間の直接的な因果関係は不明という他はない。

また、原告花子が訴えた激痛は、原告花子に常位胎盤早期剥離が生じており、他の要因が考えにくいことから、結局、常位胎盤早期剥離によるものであると解するのが相当であるところ、前記認定のとおり、原告花子が激痛を訴えた時間の直前まで装着していた分娩監視装置の記録によっても、原告花子に過強陣痛が起こっていたことは窺えないのであるから、過強陣痛があったため、常位胎盤早期剥離が起こったということもできない。

(三) むしろ、(1) 前記認定の子宮の構造・組成等からすれば、コラーゲン分子に先天的に量的、質的な異常がある原告花子の場合、子宮壁、基底脱落膜、その間を隔てる結合組織に異常を来たし、組織の物理的抵抗力が減弱し、脆弱であったと考えられること、(2) そして、妊娠晩期になると、胎児が成長してくるため、子宮体腔から子宮外膜までの厚さが薄くなることもあり、組織が脆弱な子宮壁と基底脱落膜が簡単に剥離してしまうことがあること、(3) エーラス・ダンロス症侯群の妊婦に陣痛が起こり、子宮が収縮したときには、胎盤の基底脱落膜が子宮収縮に抵抗できないことから、剥離が起こる可能性が十分に考えられること、(4) 新海教授も原告花子のエーラス・ダンロス症侯群が本件の常位胎盤早期剥離の原因であると矛盾なく説明できると証言していること、(5) エーラス・ダンロス症侯群が常位胎盤早期剥離の原因となることは、昨今、外国においても報告例があり、国内においても本件及び外国の報告例を踏まえて新海教授が報告していること、(6) コラーゲン分子の異常の存在は、遺伝子の異常に由来するため、体全体のコラーゲン分子に異常を来たすことになり、子宮は、皮膚と同じ型のコラーゲンによって主に構成されているから、皮膚に異常が認められると、子宮にも同様の異常が認められると考えられるが、原告花子の手術所見のとおり、原告花子の皮膚は、物理的抵抗力が減弱し、脆弱であったと認められることからすれば、原告花子の子宮も脆弱であったと考えられること、などを総合考慮すれば、原告花子の常位胎盤早期剥離は、エーラス・ダンロス症侯群により、子宮壁、基底脱落膜及びその間を介在する結合組織が脆弱であったことが基本的な要因であると推認するのが相当である。

なお、これに対する陣痛促進剤の関与については、その有無、程度を含めて不明というしかない。

三  争点3(被告病院の原告花子に対する分娩監視等に不適切な点があるかどうか)について

1(一) 以上のとおり、原告花子は、午後三時一五分ころに病室に戻ったときに腹部に激痛が走ったことから、ナースコールをし、病室を訪れたA助産婦に異常を訴えたものであり、膣内からは血の塊が出るなど相当の性器出血があったものである。

(二) 原告花子に性器出血があったこと、それまで分娩監視装置を付けていた時間には、有効陣痛が発来していなかったにもかかわらず、突然、原告花子に腹痛が発生し、原告花子が尋常でない激痛を訴えていること、被告病院では原告花子に対してシントシノンによる分娩誘発を行っており、その許容量の最大量の点滴中に右異常が生じていることなどからすれば、被告病院の助産婦らは、原告花子に起こった激痛等の異常について、単なる陣痛の発来などと速断するのではなく、直ちに分娩監視装置を装着して母子の状態を観察したり、また、速やかに医師の診察を求めるべき注意義務があったといわなければならない。

しかしながら、被告病院の助産婦らは、漫然と、経過観察をして、午後五時九分ころの乙川医師の回診のときまで特段の治療も、医師への報告もしなかったのであるから、右は、診療上の注意義務である分娩監視義務に反し、債務不履行ないし不法行為における過失と評価すべきである。

(三)  なお、被告は、午後四時五〇分における児心音は一五〇bpmと良好であったから、児心音の異常を発見し得たのは、午後四時五〇分以降であるから、分娩監視義務違反はない旨主張する。

しかし、前示のとおり、被告には、原告花子に激痛が起こった午後三時一五分ころ以降、直ちに分娩監視装置を再装着し、あるいは、これに代わる分娩監視を行うべき義務があったのであり、それが実行されていれば、より早期に児心音の異常も発見できたかもしれない本件において、これを行わないでおいて、偶々、午後四時五〇分時点での胎児心拍数が正常であったとの一事から、それ以前に胎児の児心音の異常を発見することが不可能であったとの被告の主張は、本末転倒も甚だしく到底採用できるものではない。

のみならず、前記認定の事実経過に、カルテ(乙二)中のパルトグラム(乙一四)の記載に関する乙川医師及びA助産婦の各証言及び弁論の全趣旨を総合すると、パルトグラムに記載の午後四時五〇分の児心音の記載が果たして正確なものであったかどうかも疑問といわざるを得ない。

さらに、午後四時五〇分時点での胎児心拍数は、一時点の計測であって、連続した計測でないのみならず、遅発一過性徐脈の出現の有無や胎児心拍の基線細変動の有無等も分からないのであるから、右結果のみから必ずしも胎児の状態が良好であるかどうかは不明であること、胎盤の剥離の程度によっては、児心音に影響を及ぼさないこともあると解されること、常位胎盤早期剥離の場合には、母体側に腹痛や出血の臨床症状を示すのであって、胎児心音の状態のみで常位胎盤早期剥離を診断するのではないこと、本件においては、原告花子が腹痛(激痛)や出血の症状を示していることなどからすれば、たとえ、午後四時五〇分の時点の児心音が一五〇bpmであったとして、これにより分娩監視義務を免れることにはならない。

(四)  なお、被告は、原告花子に発症した常位胎盤早期剥離は、原告花子のエーラス・ダンロス症侯群が原因であり、右疾患は極めて希な疾患であり、通常の産婦人科ではエーラス・ダンロス症侯群の存在を前提とした注意義務を課すことはできず、本件においても、被告に過失はないと主張する。

なるほど、原告花子に発症した常位胎盤早期剥離の主たる要因は、前記のとおり、エーラス・ダンロス症侯群であるというべきであるが、それは、あくまでも常位胎盤早期剥離の発生の機序にすぎないのであって、常位胎盤早期剥離が発症してからの医療機関側の対応については、常位胎盤早期剥離の発症の原因如何に関わりはないのであるから、この点に関する被告の主張は理由がないというべきである。

2  午後三時一五分ころの原告花子からの性器出血及び激痛の訴えに基づいて、被告病院の医師及び助産婦らが、分娩監視装置を装着したり、医師が診察をするなどして、母体及び胎児の症状について情報収集に当たり、常位胎盤早期剥離の発生を早期に把握しておけば、早期に適切な治療を行い、また、早期に帝王切開を行うことができ、それによって、本件における結果を回避し得た可能性は極めて高いものといえ、次郎の死亡と被告の債務不履行ないし不法行為との間には因果関係を認めることができる。

なお、原告らは、本件事故の日(五月二三日)からの遅延損害金を求めているので、原告らの請求原因のうち不法行為による損害賠償を認める。

よって、被告は、原告らに対し、右不法行為に基づく損害を賠償すべき義務がある。

四  争点4(原告らの損害)について

1  次郎の損害

(一) 逸失利益 一九三一万九四一六円

次郎は、〇歳で死亡しているので、原告らが主張する平成四年度の賃金センサス・男子学歴計・一八ないし一九歳の賃金(二三五万三三〇〇円)を基準に、生活費控除を五割とすると、次郎の逸失利益は、以下のとおりとなる。

235万3300円×16.419×0.5=1931万9416円

(二) 慰謝料 二〇〇〇万円

本件に現れた諸般の事情を考慮すれば、次郎の入院及び死亡に伴う慰謝料は、二〇〇〇万円が相当である。

(三) 治療費関係 四八万六三九〇円

住吉市民病院での治療に要した費用は四八万六三九〇円である(甲九の1ないし4)。

(四) 葬儀費用 一〇〇万円

葬儀費用としては、一〇〇万円を相当と認める。

(五) 以上合計 四〇八〇万五八〇六円

2  原告らの損害

(一) 原告らは、それぞれ、次郎の右損害賠償請求権を二分の一(各二〇四〇万二九〇三円)ずつ相続した。

(二) 弁護士費用 各二〇〇万円

本件事案の性質、審理経過、認容額などを考慮すれば、本件と相当因果関係を有する損害としての弁護士費用は、各二〇〇万円を相当と認める。

(三) なお、原告らは、住所地から住吉市民病院への交通費を請求するが、これを認めるに足りる証拠はない。また、そもそも、原告花子は、平成六年六月六日まで被告病院に入院していたのであり、その間に住吉市民病院へ通院し得たのか疑問である。

(四) 右合計 原告ら各自二二四〇万二九〇三円

第四  以上の次第で、原告らの請求は、それぞれ、被告に対し、各金二二四〇万二九〇三円及び右各金員の各うち金二〇四〇万二九〇三円に対する平成六年五月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める限度において理由があるから、右の範囲において認容し、その余は理由がないから棄却することとする。

(裁判長裁判官林醇 裁判官上田昭典 裁判官川上宏)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例